縁起

大慶寺縁起


 〔住職名〕37世 大場正昭
 〔旧本寺名〕静岡感応寺(身延久遠寺)
 〔旧寺格〕紫,中,末寺3
 〔本尊勧請様式〕一塔両尊四土合掌印
 〔祖像〕折伏像(徳川以前),立像
  脱新法縁


沿 革

往古この地ほ野草の生えるに任せ,今成駅宿町とも称し,また芝草横町(芝原小路)ともいわれたと伝える。

宗祖が比叡山に遊学し,その往復の途次一宿せられて,道円・妙円の夫婦を教化されたという。後に両名の者が邸内にさゝやかな法華堂一宇を建立し,これより当山の基が開かれた。法号は宗祖よりの授与になるもの,円妙山の山号もそれによっている。

現に石彫大宝塔の下に道円法師・妙円法尼の墓があり,鎌倉時代のものと鑑定されている。宗祖お手植の松は「久遠の松」の呼び名で,今は高さ25mの大木となって,天然記念物に指定された。

正和2(1313)年に六老僧日向がこの地を過ぎ,見事な松を質したと伝えているが,後に一禅師の住む所となり,慶少庵と呼ばれたときもあったという。降って天文5(1536)年に大円院日遵が法乱を避けて当地に来たり,法華堂で布教して遂に大伽藍を建立し,中興の祖となった。

当寺は後に田中城(4万5千石)の祈願所となり,徳川期より「さむらい寺」と呼ばれ,藩の菩提所として栄えたのは,時の住職が姫の病気平癒祈願の功により嘉賞されたため,城主と対等の乗輿が許されたほどの厚遇を得ていたという。

天和3(1683)年と、宝永5(1708)年に類焼の厄に遭い,15世日融が庫裡・本堂を再建した。この間に支院の法性院と法蓮坊が合併して、境内に三光堂として名残を留めている。

徳川14代家茂か上洛の折,当寺へ立寄り病気平癒祈願をしたのは文久年間のことであった。以つて盛時の状を偲ぶに足る。当寺にほ,田中城主太田資直,本多正供姫君,本多正珍側室,漢学者石井縄斎,国学者熊沢惟与等の墓碑があり,藤枝の名勝旧跡の-つである。

7世円乗院日義は藤枝市蓮久寺1世,28世広泰院日澄ほ芝川内房本成寺46世,29世一和院(妙中院)日誠ほ清水安穏寺21世から入寺し,32世正明院日温は身延覚林坊36世べ晋董している。

歴代住職

開山 佐渡阿闍梨日向上人 正和3・9・3
l.大円院日遵 天文23・2・2 (1554)78才 
2.善性院日詠 元亀3・7・25 (1593)73才
3.宝修院日相 文禄2・3・8 (1593)
4.本妙院日玉 慶長12・5・22 (1607)
5.守玄院日清 元和3・4・9 (1617)
6.正覚院日等 元和9・2・29 (1623)
7.円乗院日義 寛永14・10・12(1637)
8.慈善院日迎 正保4・11・28 (1647)
9.円妙院日暁 承応2・10・19 (1653)
10.大雄院日増 寛文5・6・25 (1665)
11.恵照院日孟 延宝2・1・4 (1674)
12.是真院口淳 元禄5・9・22 (1692)
13.一行院日立 元禄11・1・5 (1698)72才
14.空如院日信 宝永6・6・7  (1700)
15.円徳院日融 享保10・7・5 (1725)68才
16.法城院日住 享保6・3・13 (1721)
17.本理院日誘 享保7・3・12 (1722)
18.観妙院日量 寛延2・9・25 (1749)
19.誠妙院日真 明和7・6・24 (1770)
20.禅智院日秀 宝暦11・8・16 (1761)
21.宣示院日専 安永8・6・15 (1779)
22.静遠院日容 寛政6・11・18 (1794)
23.潮治院日広 寛政7・7・29 (1795)
24.潮応院日這 文政9・11・13 (1826)
25.智応院日修 弘化3・9・3 (1846)
26.智運院日顓 嘉永4・1・13 (1851)42才
27.広智院日運 嘉永4・7・21 (1851)56才
28.広泰院日澄 慶応3・5・18 (1867)
29.妙中院日誠 明治11・2・16 (1878)
30.智進院日閑 明治17・12・30(1884)
31.智誠院日徳 明治27・5・4 (1894)
32.正明院日温 大正4・9・25 (1915)
33.本義院日彰 大正9・1・25 (1920)
34. 境智院日進 昭和6・9・7  (1931)74才
35.天妙院日雷 昭和55・4・7 (1980)93才
36.智竜院日震 平成18・4・20 (2006)83才
37.慧光院日修